2010年7月14日水曜日

日記の引っ越し

色んなことがあって、こちらに引っ越しました。
よかったら見に来てください。

http://daily-meme-notes.cocolog-nifty.com/blog/

2010年6月17日木曜日

吹奏楽を少し


有名なアルフレッド・リードの「アルメニアン・ダンス」Part1です。
この演奏はN響の演奏家たちが演奏している吹奏楽です。
なので、弦はいないワケです。
これだけの人数で厚い音を出せるというのは
やはり、すごいなぁと思います。

私がオーボーを吹きたくなったのは
この下の伊福部昭「タプカーラ」が最後の背中を押したのですが、
吹奏楽でいいなぁ、と思わせる演奏は
たいていオーボエの演奏が光っています。
つまり、ソロがいい、ということです。
オーボエはほかの音と重なると
フルート同様、音の厚みの一部になっちゃうだけで
その楽器がいないとだめ、というのとは違うから。



吹奏楽で聴くといっそう迫力があります。
この曲をオーボーで参加するのが夢かなぁ。

フルートで演奏に参加したい曲、といっても
すぐにあの曲、とは出てこないのですよね(苦笑)
オーボーは挙げられるのに。
フルートだとソロの印象が強くて
オケとかあんまり出てこない。

あぁ、やっぱ、オーボー、上手くなりたいなぁ。
明日は、久々の吹奏楽演奏参加日です。
まだ、咳出るんですが、行ってきます〜。

2010年6月9日水曜日

ゴールウェイという雷に打たれた


フルートを中学生の時に始めましたが、
誰かに憧れて吹き始めたのではありません、実は。
ただ、ブラスバンドの演奏が楽しそうで
それで始めたのでした。で、今に至ってしまっています。
私の始めた頃は、日本のアーティストで
山形由美さんや金昌国先生が活躍されていた時代でした。
しばらくして、ランパルさんの演奏を聴いてびっくりしたり
だからといって、やはり誰かの演奏に傾倒していった訳ではないのです。
だから未だに下手なんでしょうけれど(汗)
で、アメリカに住んでいた頃、
なにげに検索して引っかかったのがこのゴールウェイさんです。
え?60歳でもフルートって吹けるんだ、
とアルバム名に感心し、演奏を聴いてぶっ飛び、
今まで習ってきたフルートの先生とは全然違う…
と、耳を疑ったのでした。
そして、あぁ、これがフルートなんだ、
と、妙に合点がいったのでした。
でも、身近なフルートの先生だって、とても上手です。
私には敵いっこない腕前です。当然です、プロなんだから。
でも、プロにも色んな人がいるのか、
と、まじまじと知ってしまったのです、生意気にも。

留学する人はすごい人、とはいいませんけれど、
海外にいって成果を上げられる人というのは
やはり、抜きん出てるよな、と思います。
生きていくことはできるけれど、周りから評価を得るというのは
なかなか、誰にでもできることではありませんよねぇ。
実力も人との交流力も、交渉力もなければ
なかなか、自分を見せる場を持つチャンスさえ見つけられませんから…。
ゴールウェイさんはイギリスでそれなりに名声を得ていても
ベルリンフィルで吹いた方ですし、
団員たちとはドイツ語で話をしていたのですから
言語にかけても音楽の人というのはドイツ語に重きを置いて
アメリカ人のよくやるように(苦笑)英語にあぐらをかかずに
本場のヨーロッパで西洋音楽を習うのだな、と思いました。

一生かかっても真似できないゴールウェイさんのフルートですが
彼の演奏によってなよなよしてる?とも思ったフルートに対し
骨太で潔い楽器、と思い直したのですから
やはり、彼はすごい!と憧れてしまうのでした。

*動画はご存知バッハの「バディネリ」これ、難しいですよね。。

2010年6月7日月曜日

シンガポール


今、同僚がシンガポールに研修に行っている。
2週間の滞在となる。
彼は5月に入社した人で、うちの会社は大抵、
日本以外で研修をする。
去年入社した別の同僚は中国に4週間の研修だった。
一昨年入社した私はシンガポールに6週間もいた!
早いものだ、入社してもうすぐ2年となる。

アメリカ資本のうちの会社は
環アジアのヘッド・クオーターはシンガポールが担っている。
なぜなら、シンガポーリアンは英語が堪能だからだ。
近隣諸国のマレーシアも英語が堪能で
隣接しているということもあって、
大学生はマレーシアから通ったり、
社会人もマレーシアから通勤したりするそうだ。
だから、シンガポールのうちの会社は
シンガポーリアンというよりも
華僑の末裔たちで構成されている、といった感じが否めない。
なので、中国語も飛び交っている。
マレー系もいるし、フシギな感じはする。

一昨年、6週間も亜熱帯のシンガポールで研修があった時、
私は苦しくて泣き叫びたかった。
ホテルの状態がひどかったり、洗濯機がなかったりで、
会社に訴えて、こぎれいなホテルに変更してもらった。
とんだスタートを切ったシンガポール研修だったのだが、
ここで私は「おひとりさま」ということを学んだ気がする。

日本にいると、テレビを点ければ日本語で何か話してるし、
コンビニに行けば自分の好みの物に出会えたりする。
アメリカに住んでいた時は
テレビを点けても英語だし、
コンビニなんてないし、スーパーは遠いし、
ドラッグストアは品定めするような雰囲気ではまったくないし、
ってな感じで、日常のアメリカは殺伐としている感じでした。
では、シンガポールはどうか、というと
コンビニは、あります。
けれど、好みのものは、うーん、見つかる時もある。
何せ、日本のスナック菓子が売られているのだ。
テレビはどうか、これはやはり日本語のものはないですね。
大抵、中国語。
英語のものは映画やニュースかな。
でも、週末、日本の旅番組を日本語でそのまま放送していて
私は毎週末、それを楽しみにしてましたけどね。
アメリカ時代のようでちょっと懐かしく、
ちょっとほろ苦い気持ちになりました。
しかし、一昨年の夏はなんといってもオリンピックがあったのですよ。
北京オリンピック。これを見てましたね。
勿論、中国とかシンガポール、台湾がメインに映されてましたけど。
滞在日、最後の日はF-1が来てたので、
その爆音を聴きながら友達とSkypeしたのでした。

今はとても懐かしいのですが、
滞在時は、結構辛かったのが食べ物。
6週間、ホテル住まい、というのも厳しいもんがあります。
普段はホーカーという屋台村みたいな所で済ませます。
でも、週末は、ちょっといいもん、食べたいよな、
ってことで、ラッフルズホテルに何度か行きました。
そこでよく食べたのが写真のサンドイッチです。
パンの種類が色々あって、
大抵、このライ麦系の全粒が入ったものを選んで
挟むものもガラスのショーケースからアレコレと選び
サンドしてもらいます。
コーヒー付きで、日本円で800円ぐらいかな。
シンガポールからすると高いと思いますね、物価的に。
S$1/ 66円ぐらいかな、今。
私の行ってた当時はまだ70円切ってなかったように思うのですが
円高ですね。

さて、その「おひとりさま」ですが、
色んなことに慣れきって、依頼心が強かった私は
シンガポールでぽつねんと、ひとりぼっちなって
それでも楽しいこと見つけて生きていく
っていう、基本中の基本を、このシンガポールで知った気がします。
ラッフルズホテルのサンドイッチは
たまたま入ったカフェで見つけて何度か食べたけど、
誰かと一緒に食べたいなぁ、と思いながらも、
一人でもいいじゃないか、とも思ったり、
まぁ、色んなことを考えたのでした。
当時は、イヤでイヤで逃げたかった彼の地ですが、
今は、別のビジョンで眺めてまた行きたいな、と思います。
でも、行くとしても、やっぱ、ひとりかな。
そうそう、旅って、本当に安心できる人でないなら、
ひとりでいる方がいいな、と思っています。

だんなさんは旅好きではないので、
出かけるとしたらひとりの方が気が楽だろうな。
私には老いた両親がいるので
親孝行にどこか、旅行にでも連れて行ってあげなきゃ、
と思ってるので、シンガポールなんていいかも、
なんて、私が行きたいのも相まって、思ってます。

2010年6月6日日曜日

性に合ってる


ミクシィのマイミクさんが
80〜90年代のナツカシの歌謡曲を張っていたので
ちょっと見ていたらなんだか泣けてきた。
泣けてきたついでに、動画のページに行って
昔よく聴いてたミスチルなんか聴いてたら
ますます泣けてきた。
何でかなぁ、何で涙が出るのだろう。
私は今、結構しあわせなのになぁ。

で、こりゃいかん、と思って
「落語」で検索して、
懐かしい小さん師とか枝雀師とか
ご存命の大ファンの小三治師なんか聴いてたら
なんか、ワクワク、楽しくなってきた。
ナツカシの歌聴いて、しんみりして、
あの頃はよかったな、とか、
あの頃、こんなコトしてたな、とか
あの頃ああしとけばよかったな、
なんていうことばかりを思い出しているよりも
思い出も何もない、
もっと遠い昔を題材にした落語を聴いて
その当時の人のユニークな考え方を
ほぅ、と聴いている方が性に合ってる、と思った。

歌謡曲とかポップスだとかは詩を聴いてしまうのだが
その詩がどんなものであっても
最近の私は同じ言葉を聞くのなら
落語の方が心に入ってくる。

詩、というのは短いコトバの数珠つなぎで
物語になって心の隙き間に入り込み
なんだか、ばかでかい存在感を放ったりする。
その、居座った言葉に受け取るこっちは
どう処理すればいいんだか、結構手を焼く。

落語というのは「会話」で成り立ち、
その会話は生きた言葉そのもので
誰もが思いつく言葉、
でも、意外な展開、でも納得できるオチ、
だったりしてすーっと染み入ってくる。
心の隙き間でもなければ大きな存在感もない。
ごくありきたりな日常の、
ごくわかりやすい言葉で、
でも、現在ではなく、私の知ってる過去でもない。
見たことも、生きたこともない、
その時代の、でも同じ人間の日常の一場面。
その些細なすったもんだ、その些細なやりとりが、
こうもおもしろく、こうも身近で、
でもやっぱり誰かの人生を見ているという
ちょっと、人ごとな感じという安心感。

私の周りに落語好きは夫のみ。
会社の人ではいないなぁ。
昔からの友人たちは私が落語に連れて行ったのを契機に
落語好きになってくれた(笑)
理由なんてどうでもいいのだけれど、
私には、この落語を聴く方が歌を聴くのよりも
性に合ってるなぁ、と思う。

*動画は小三治師の「にらみ返し」の一場面。
続きは動画のページでどうぞ。

フルートのいない週末


日曜日です。
昨日の土曜日は咳風邪で這々の体でした。
オーボーも吹かずじまい。
今日は夕方からオーボーのレッスンがありますが、
練習していません。。
初心者の私の場合は、何度も言う通り、
基本のキの字は何遍もオーボー先生の指示を聞き、
その通りにやった方がいいので
下手に練習するよりは、直ぐさま直してもらった方がいい、
と思っています。
でも、個人練習で得ることと言ったら指づかいで
これがなかなか不得手な私は地道にこつこつと
覚えていくより方法はありません。
そして、曲を吹きながら覚えるのが脳に入りやすい、
というのが最近気づいたことなので、
好きな曲を吹いて頭に知らぬ間に入れてしまおう、
と、自分を上手くコントロールしようと思っています。

オーボーの練習はすんなりと吹けないということもあり
結構、ストレスになることもあるのです。
楽しいはずの趣味なのになんででしょうね。
で、そういう時は決まって、フルートに助け舟を出し
それをピーヒャラ吹いて憂さ晴らしをするのです。
憂さ晴らしにならず、反対に、
フルートまで吹きにくくなってる…と
悲しい結果になることもあるのですが、
まぁ、そこはそれで、別の課題を新しく知ることになるので
フルート練習のいいきっかけになることはいうまでもありません。

しかし、この週末は、そのフルートがありません。
憂さ晴らしどことか、
ないことで、ちょっとした緊張感があります。
活字依存症の私が単行本を忘れて遠出したような
妙な不安感に似ています。
先週金曜日に、新しく入った吹奏楽団体に
初練習に参加するはずだったのですが
ひどい咳と出ない声、という有様で
夕方、不参加の連絡を入れ、
重い楽器と譜面台は会社の引き出しにしまってきました。
重い、といっても
CCシャイニーのハードケースが重いだけなんですが。

フシギなもんで、フルートがないと
オーボーもとんと練習しよう、とならない…。
いえいえ、風邪が完全に治まってないから
吹く気が湧かないのよ、なんて自分をなだめてみたりもしますが
まぁ、理由はよく分かりません。
泣いても笑っても、夕方はオーボーのレッスンがあるので
その前には音を出しておきたい。。

さて、色々いい訳言ってないで
ちゃっちゃと練習しないと、ね。

*写真は私のムラマツDSです。
もうひとつのフルート、オールド・ヘインズは…
ある楽器店で売りに出しております。。
希望の方はご連絡を。

2010年6月3日木曜日

吹奏楽でモーツアルト


オーボエソロの曲では「モーツアルトのオーボエ協奏曲」は有名中の有名。
実は、この曲、今度入る吹奏楽の楽団で奏るんです。
オーボエソロはプロの方に来ていただき、演奏するとのことで、
へぇ、吹奏楽でねぇ、とびっくりしたのです。

何も、そこまでしてやらなくてもいいのでは…
と思って、オーボー先生にぽろり、といったなら意外なこたえが。
「素敵なら何やってもいいんじゃないんですか」と。
その音楽性が失われていなければ、いいのでは、と。
まさか、モーツアルトも作曲して200数十年経ってから
行ったこともない日本というアジアの国で
それも、吹奏楽で自分の作曲した曲が編曲され、
演奏される、なんて夢にも思っていなかったろうな、と思います。

経済力が向上したこのアジアの小国で
確かに数十億の海外の絵画が売り買いされるくらいですから
西洋音楽を編曲して日本人が吹奏楽で演奏したところで
何も驚くことはないのですね…
この曲をオーボエだけで演奏したのも聴いたことがあるよ、
と先生曰く。
当時、オーボエが余っていて、
何かパフォーマンスができないか、と
そういう突拍子もないようなことをしていたようです。

弦のように音を鳴らすのは管楽器では難しいのは当然ですが
新たな挑戦、という意味では
吹奏楽でやってみる、っていうのもおもしろい試みなのですね。
吹奏楽ばかり続けてきた私ですが
だからといって、吹奏楽用の曲に固執もしておりません。
私の吹奏楽の知り合いに
吹奏楽をやるからには、吹奏楽のために書かれた曲を奏ならければ
吹奏楽をやってる意味がない、とすらいった人もいて、
翻ると、なぜ、そこまで吹奏楽に固執するのか分からない。
この固執は意固地になっていて、
オケで奏れない酸っぱいブドウ状態なのかな、なんて
皮肉に思ったりもします。
私はホント、何でも演奏していて楽しければいい、
という、超アマチュアです。

ある証券会社のコマーシャルで
各国で演奏したり、歌を唱ったりしたものを
合わせてひとつのものにしてるのがあります。
あれを見たオーボー先生は
「みんな、音楽、楽しんでるな」
とぽつりとおっしゃいました。
「巧い下手なんて、考えてないもんね」って。

上手い、に越したことはなく、
それを目指して向上しようと練習するのだし、
やはり、吹けなかった曲が吹けるようになると
単純に嬉しい。
でも、その道のりも楽しめてこそのもの。
音楽は本来、悲しむものでも苦しいものでもなく
誰がやっても楽しいもの、なんだろうな、と実感しました。

さて、明日は初練習日です。
なに、演奏するのかな?

*動画での演奏はオーボー先生の師匠のローター・コッホ氏の
ベルリンフィルでのソロ演奏のモーツアルト「オーボエ協奏曲」
映像は、のだめ〜の黒木くんだけど、ね。

2010年6月1日火曜日

ふたつ目のロマンス


シューマンの3つのロマンスのうち、
私はふたつ目が好きで
この曲をアメリカ時代のフルートの先生
Kim Collins師の演奏録音を聴いたことがある。
彼女の演奏は骨太な感じがする。
彼女のFace Bookでこの曲が聴けます。

さて、しかし、そもそも、この曲は
オーボエのために書かれたもののようです。
なので、この楽譜を手に入れたとき、
オーボー先生に吹いてもらいました(!)
私だけがお客さん、という
超贅沢な環境でございました。
当然なのですが…うまい。
涙も出そうなほどです。
オーボー先生、ちゃきちゃきの江戸っ子とのことですが、
こういう、しっとり系が至極ウマくて
泣かせる曲がなんとも聴かせる。
私も斯くありたい!と
基礎練習そっちのけで、オーボーに関しては
この曲を練習し始めていますが…。

この曲は♯が3つついていますのでA durです。
あ、アメリカで習ってA majorと記憶していましたが
オーボー先生には「ドイツ式で」といわれ
覚え始めております、はい。
さて、この曲のはじめの音は
オーボーではとっても難しいCisです。
すごーく、苦手な音なのです。
なぜなら、左手の一番上のキイが半開ですが、
実際はキイを全部押さえるため
管体自体が長くなり、音が重くなるからです。
それを、ロマンスただようCisにするには
並大抵の練習では到底ロマンスどころではありません。

まずははじめの8小節、そして続く8小節、と
コツコツ、とつなげるしかないのです。
オーボーはオクターブキイを使って上の音を出すので
それに慣れていないため、フルートっぽく吹こうとして
毎回同じところでつまずきます。
指すら慣れてないのに、
シューマンに挑戦、というのは無謀っちゃぁ無謀ですが、
何しろ吹いていて楽しい。
下手で当然さ、とエンジョイしております。
そして、試しにフルートでも吹いて
Kim先生の音を思い出し、また、結局、
ふぅ、とため息が出てしまうのです。

しかしまぁ、最近、なんだかいい方向に
オーボーは向かっているようで、
吹くことに対し、わくわく感が出てきました。
オーボー先生こそ無謀にも、
「あと半年したらオケね」とおっしゃる。
え?と驚くと、
「今入らないで、いつ入るの?
どんどん曲吹いて、合奏しないとウマくならないよ」
とのことです。
半年後、私はどうなってるのでしょうか??

*写真はAmazonで買ったシューマンの
「3つのロマンス 作品94 オーボエとピアノのための」

2010年5月31日月曜日

ついに!(涙)



懸案のオーボー…
まだまだヒンケ(フルートでいう所のアルテみたいなものです)の
一番はじめのページ。
ずーっと、駄目出し。
ずーっと、自分でも不満足。
けれど、昨日は、なんと、ついに、”褒められました”(!)
オーボー先生、酔っぱらってもいないのに(苦笑)
褒めてくださいました。
そして、初見で(って言っても、
フルートなら難なく吹ける四分音符と四分休符のみの練習フレーズ)
練習小曲もこなし、一気に3つ、
「たいへん、よくできました」の
桜マークのスタンプを押していただきました(嬉)
『滅多に出ないよ』
といわれましたが、何の知識もなかったのがよかったのか、
オーボー先生の言われるように
なんとか吹こうとしてきた結果が、この初歩の段階で
すこーしずつ、実を結び始めているような気がします。
なんて、大げさなのですが、
リードにしても、超初心者の頃使い、
ぼろぼろになり、使いにくいなぁ、と思って
音も出にくいのはリードの所為、と見限っていたのに、
『このリード、まだまだ大丈夫だから』
と、オーボー先生に試し吹きをされ、
これまたいい音が出て(涙)、これは、言い訳ならない、と
そのリードで吹きました。

リードって、
硬いと「ヘビー」とか言って、噛んで吹くと音が響き、
柔らかめは口をゆるめでくわえないと
リードがつぶれて振動が起きません。
しかし、音は響きにくく、へたりがちです。
そして、どんなリードでも変化して行くので、
その変化にアンブシュアは応じていかねばならず、
故に「奏法が難しい楽器」といわれているのですね。

口だけではなく、
下腹にちょいと力を入れ、
「吹き矢を吹く」感じでおなかを引っ込めながら音を出します。
これ、オーボー先生直伝の企業秘密(苦笑)
でも、なかなかできないのですよ。
言葉だけでは上手に説明できないのですけど、
まぁ、そういう感じです(とごまかしたりして)。
口と下腹のバランス、ほかにも体中を使って
オーボーは音が出るのです。

あと、呼吸は、吹いたあと、
肺に空気が残るので、吐いてから吸います。
これをしないと、苦しくなります、吸い過ぎで。
先日のMさんの演奏会でしたが、
とても素敵でしたが、「音楽」が私の好み
っていう音楽とちょっと違うものでしたけどね。
技術的にはめちゃウマく(そりゃそうですよね、プロだもん)
循環奏法を目の前で始めてみました。
すごいですねぇ、あれ。
永遠に演奏し続けられるんですね。。
そんな、雲上人の演奏は無理ですが、
いい目の保養になったのはいうまでもありません。

昨日のオーボーレッスンで言われ、
ほぅ、
と感心というか、驚いたことがあるのですが。
初心者は初心者であるほど、
基礎をさらうべからず、なんだそうです。
基礎練習を自分の日課としてさらうならば、
その奏法が100%正しければ問題ないですが、
まず、誤っているから下手なのであって、
だからこそ、初心者ほど曲を吹いた方がいいのだそうです。
ピッチも何も関係なく、とにかく吹くことに慣れるように、と。
大分吹けるようになってきたら基礎練のパーセンテージを上げていき、
オーボー先生のように、40年も吹いてきて、
既にオケの曲は全てさらい、暗譜もしている現在、
さらう曲はもはや無く、
100%基礎練が必要なのだそうです。
おもしろいなぁ、と思いました。

*写真は私のオーボエと同タイプ、ヨーゼフ製「クレメント」モデルです。

2010年5月27日木曜日

オーボエリサイタル


明日はオーボエのリサイタルに行ってきます。
仲良したちと6人で行ってきます。
Mさんというそのオーボエ奏者とUさんというピアノ奏者の方の
セッションになるようです。

曲目は
サン・サーンス: 白鳥
サン・サーンス: オーボエソナタ
ビゼー(編曲): カルメンファンタジー
シューベルト(編曲):シューベルトファンタジー
ピアソラ(編曲):タンゴの歴史

とのことです。
Mさんは日本でトップクラスのプロ吹奏楽団のオーボエ奏者です。
一度、お酒の席でご一緒させていただいたことはありましたが
演奏を聴くのはこれがはじめて(恥)
その時の印象が大分変わるだろうな、と思っています(笑)

余談ですが、音楽家は酒飲みが多いです(苦笑)
オーボー先生然り、Mさん然り、義弟然り。。
周りの人々がたまたまそうなのかもしれませんが
オーボー先生の師匠、コッホさんも大酒飲みだったそうで、
酔っぱらっていないと恐くて人前で演奏できなかったのだそうです。
みんながみんな、いつも酔っぱらって板に上がっているわけではないでしょうが
満更、これは音楽業界ではよくあることなのかな、と思っています。
そういう、ゴシップ的なはなしは
オーボー先生を通じなくとも、ほかのタブロイド的なうわさ話で
あちこちから耳に入っていますし、
強い緊張感に晒される仕事で大変なんだろうな、とも想像できます。
私にはとても就けない職業です。
まだ、鳶の方が可能性があると思う。

明日、そのリサイタルに行く仲間は
だーれも、音楽をやっていません。
私ぐらいかなぁそういう趣味があるのは。
だから、気が楽です。
あーだこーだと評論を聞くのはつかれちゃうし。
純粋に演奏を楽しめる、というのはいいもんですね。
後日、報告いたします。

*写真はMさんご使用のYAMAHA YOB-832.
私のもってるオーボーよりも安価なんですね。
でも、プロだから音、いいんだろうな…
値段じゃないんだなぁ(汗)

2010年5月26日水曜日

雨の日は


最近、週末よく晴れてるなぁって思ってたら
いやはや、また雨ですか、ってな具合に身勝手にお天気を思ったりする。
私は月並みながら晴れが好きですが、その理由はお洗濯がよく乾くからです。
あの、日向臭い匂いのちょっと、乾燥してざらっとした感触のタオルなんか大好きです。
元々、私はタオルケットフェチというのもあって
タオルが日向臭くなったヒにゃ、もうネコにマタタビ状態です。
ここんとこ、巷でよくお見かけするレインブーツ=長靴、ですが
私は長靴を履くのをやめました。
また、通勤で電車に45分も同じ路線を乗り続けるので
普通の傘だと置き場に困ってしまいます。
なので、私は通勤時はもっぱら折り畳み傘に雨用の靴、
という出で立ちにしています。

フシギなもので、晴れの日、というのが
生活のスタンダードであって
雨の日はなんだか特別、という感じが否めません。
雨だ、というだけで構えてしまいます。
もちろん、暴風雨なんかに変化したら電車は停まっちゃうし
公共機関では事故が起こりやすくなったりもしますから。
でも、最近の晴れの日、というと、
突然汗ばむ陽気になったり、かと思うと涼しかったりもするのだから
濡れる以外は、状況の変化のしやすさ、というと
雨も晴れも、そう変わらない気がします。

ただ、そうも書きながら、
結局は同じ傘に同じ雨用の靴を履いて出かけることになるのだから、
縛りがあって変化しづらい、ということになるのかもしれません。
ここで、ふと待てよ、と思うと、
それじゃぁ、結局、人間側がそれに順応するかしないか、
ってだけかい?ということになってしまいそうです。

雨が降ろうが晴れようが、
私はお弁当をもって仕事に行くので
会社に到着したら、帰宅まで一歩も外に出ない日があります。
というか、出ない、です…。
ってことは、行きと帰りだけ私はお天気を気にすればいいのね(苦笑)
そして、自宅から最寄り駅は徒歩ですが、
会社の最寄り駅から会社の真ん前に停車するバスまで
雨の日は傘は殆ど不要。
あぁ、やっぱり、私にはレインブーツは不要です。
家から駅まで10分強。
それも、歩道の上に屋根がある。。

あれこれ、晴れの日と雨の日を比べようと思ったけれど、
私の場合は、電車が止まらない限り、
あまり影響は受けていないようですね(苦笑)

*写真は愛用のTOTESの超軽量・超コンパクトの折り畳み傘です。
この傘見かけたら私かもしれません(笑)
でも、あまり通勤ではこの傘をさすチャンスはないことを確認しちゃいましたが…

記憶力



最近、覚えていたはずのことがなかなか思い出せなかったりする。
うーん、中年化が進みつつあるアラフォーの私なのだが
以前は「ま、いつか思い出すさ」と、
さっさと諦めてほかのことに意識を持って行っていた。
故意に、その思い出そうとすることを忘れて
イライラをなくそうとしていた、ということ。
今は逆に、何が何でも思い出そう、と結構がんばれる。
その思い出そう、とすることで脳内の電気がピリリっと
流れるようになるのかもな、なんて思ったりもした。

以前の自分のブログページで書いた日記にも
私はすこぶる暗記が苦手、と述べた。
毎日吹けないフルートだけど
週末はなんとかオーボーもフルートも吹くようにしている。
というか、吹きたいから吹くのだけれど、
吹かないと、とたんに音がいまひとつの感じで
なるべく吹くよう心がけてはいる。
で、オーボーはまだまだ超初心者の域から脱していないし
息の調節が下手でオーバーブロー気味のようで
ひたすら苦しいのだから、目の前に楽譜があって
指づかいが分かるようになっても吹けない(涙)

一方、長年連れ添っているフルートは
大分前からバッハのソナタ C-Durを吹いている。
おかげで、すこーしは暗譜できている気がする。
…というか、この曲はメインに十六分音符で構成されているから
暗譜する、というか、指が勝手に動けるようにならないと
結局、吹いた気分にならない。
だって、絶対に突っかかってしまいそうになるから。

オーボー先生は20年以上もヨーロッパの本場で
オケに入っていたこともあって
大抵のオケの曲は吹いてきた、とおっしゃる。
で、楽譜がなくても、たいてい暗譜しているから
今でもソラで吹ける、と…。すごすぎる…(大汗)
すごーい、と僭越ながら思わず絶賛してしまったら
『当然です』と、毅然といわれてしまった。
プロはみんな暗譜してるもの、なんだそうです。
そうじゃないと、人様の前でお金とって吹いてはいけません
とのことです。うーん、レベル高すぎ…。
『アタマ悪いから音楽家になった』
とおっしゃるけれど、頭ホントに悪かったら
暗譜なんてできないよ。

私のこの灰色の脳細胞が彩色を帯び、
記憶力が落ちないよう鍛錬の日々だけれど、
老化は進む一方。
勿論、メインテナンスしつつも、それらを相互作用させる
応用力、ってのも大事かな、と思います。
昨日の話の続きみたくなっちゃいましたが。

*写真は定期購読しているAERA Englishで、
年々落ちつつある英語力をこれでなんとか食い止めたい、
と読んでいますが、これくらいの年になると
無理矢理覚えた英語は、忘れにくい、という不器用な所もある
私の灰色の脳細胞なのでした。

創意と工夫



昨夜観ていた日曜用が劇場は「暴走列車」でした。
先週観ていたテレビでやっていた映画は
ジャッキー主演のアクションものでした。
ほかにも色んな映画があるけれど、
映画には限らず、何か困難にぶちあたって
そこから脱したいときは
創意と工夫をこらした「知恵」によって
難を逃れることになるんだな、と思いました。

日々、仕事で私はよく謝っています。
私が失敗したのではなく、私はプロジェクトの窓口なので
私の事業部で起こしたミスなどは
彼らの矢面に立って、私がまずは謝罪するのです。
また、謝罪はやはり、気持ちのいいものではないから
そう、ならないように、なるべく対策を練って、
失敗のないような計画を起こします。
その計画が私の部署で行わず、
他部署による企画でそれが失敗に結びついてしまったとしても
結局、私が怒られて(涙)、謝ることになるのですが、
そのあたりも、最近は創意と工夫で
なんとか乗り切るようになってきています。
それは、防ぎようのない、私以外の関係者が起こしたミスについては
やはり、論理的に、まず、何をすべきかを早急にとらえ、
そして、今後どのようにするのかを示す必要が出てきます。
私が犯したミスならば、
私自身、何をすべきだったかを考えればいいので簡単ですが
他部署のものについては私の見えないものが多々あります。
それでなくても、他部署の多くは私のいる事業部の場合は
海外が中心なので、尚更目に見えません。
その論理的なもの、っていうのが
Corrective actionとPreventive actionです。
「Lesson Learnt」とうちの会社ではいうけれど
色んなケーススタディから「知識」を得て
次に役立てる、っていうのを行っています。

私は通勤ラッシュが大嫌いです。
あまりにも混んでいるけれど、
その路線が最寄り駅のそれだし、それ以外はない。
なので、思い切って、始業時間を1時間早めました。
会社に8時には着いて仕事をします。
通常、9時−5時半の勤務体制ですが
うちの会社はフレックス制なので、
基本的に7時間半就労してれば問題はありません。
上長たちにも許可を得て、8時から働き、
でも、退社できるのは夜の7時過ぎなんですが、
それでも、朝のラッシュを考えると、
1時間早めたことで若干の隙き間があり、好きな文庫も読めます。
会社に9時に着こうとすると、本なんて読んでられないので(汗)
行きは途中の駅から、帰りは必ず座れるので
こんなラッキーなことはないな、と思っています。

仕事にしろ、私生活にしろ、
創意と工夫で乗り切りたいな、と思います。
そして、それが人生そのものかもな、なんて思ったりもします。
勿論、時には諦めることもあるのでしょうけれど、ね。

*写真は私のフルートの愛用ハードケースCCシャイニー(オレンジ)です。

「レディ・ジョーカー」



高村薫さん著の
「レディ・ジョーカー」が
ようやく佳境を迎えている。
上/中/下巻とあり、
ついに下巻に入りました。
600ページ弱/1冊の文庫です。

話の内容はある大手ビールメーカーが脅しを受け身代金を払う、
というものなのだけれど、
なぜ、犯人グループはビールメーカーを脅すことを決めたのか、
なぜ、そのビールメーカーが脅されなければならなかったのか、
なぜ、ビールメーカーはそれに応じなければならなかったのか、
…というような
事件に関わる人々の「諸事情」が上巻と中巻に書かれている。
そこに、「合田警部補」が絡んでくる。
高村さんの作品は合田警部補が
メインの刑事として出てくるシリーズがほかにもある。
「マークスの山」が合田警部補が出てくる有名どころでしょうか。

私はガサバルのと値段と読みにくさもあって
ハードブックは基本的に買いません。
文庫が出るまでじーっと待つか、図書館で借りるか。
ただ、読む時間が通勤時間に限られるので
やはり、いくら借りられてもガサのあるハードブックは敬遠してしまう。
片手で読めませんから…。

高村薫さんは、確か一時筆を折られたと記憶している。
10年以上前に神戸の子どもが首を切られて
学校の校門におかれたという事件があった。
私はその事件を当時住んでいたアメリカで知ったのだけれど、
日本でどのような報道がメディアでされ続けたのか
私は日本にいなかったので分からないのだけれど、
その事件をきっかけに「事件小説は書かない」
と、何かで高村さんの今後を読んだ気がする。
事実は小説より奇なり、というけれど
高村さんは筆を折る理由として、
「小説家でも思いつかないような残酷な事件が
現実として起こることに対するショック」
というような内容をおっしゃっていたと思う。
海外にいた私は非常にがっかりしたのだ。
もう、高村作品が読めなくなるのか、と。

しばらくして、高村さんは時代小説を書かれ始めたと思う。
私の苦手な歴史系の小説。
いくら、高村作品でも、なかなか手が出ない。
そして、今年、新作で
「合田警部補」が登場する小説が刊行されているようだ!
その文庫化を待とうかなぁ。
とりあえずは、今の下巻を読みきって、
また、おもしろそうな本を探してみよう。

やっぱりアンサンブル


この街に引っ越すのをきっかけに
それまで入っていた楽団をやめてしまい
また同時に、オーボエを始めていたこともあって
どこにも属さず、
お家でピーヒャラとフルートを吹いていました。

オーボエは始めたばかりで
リードの調子が悪いのか、
自分の吹き方が悪いのか、
どちら判断しかねることも時々あって
練習が楽しくなかったり、
レッスンも苦痛だったりしたのでした。
最近のオーボエは
ひとつのはじめの小さな山を越えた感じで
先日のレッスンも充実し、
自分自身も楽しくなってきました。
オーボー先生がレッスン前に
リードを削り直ししてくれるので
レッスンまで個人練習していた段階よりも
確実に、また、格段に吹きやすくなるし
そう実感すると
「リードのせいかも」
とうまく吹けないとその所為にしてしまう(苦笑)
今の私がオーボエに対してうまくいかないなぁ、
と後ろ向きに感じる時は
大抵、アンブシュアの確立不足で
口回りが疲労困憊し、
リードを支えきれなくなっている時だな、
と痛感はしているのですけどね。

さて、話をフルートに戻すと
オーボエで遅々として進まない自分の技量を思ったとき
フルートに助けを求めて
ピーヒャラ吹いて気を紛らわしていたのですが
やはり、アンサンブルをして来た経験から
「またフルートで誰かと吹きたいなぁ」と
沸々と小さなのぞみが大きな欲望にと変わってきていたのです。
フルートの参加できるアンサンブルの団体では
大きいものだとオケとかウィンドとかあり、
小さいものだと、室内演奏系やフルートのみのグループ
ってのも、ウェブで見つけました。
フルートでのオケは殆ど経験がないのですが
チャンスがあればどこでも、
という感じでアレコレと探し、
割と近場にウィンド系の団体を見つけ
昨日、そこの見学に出かけ、運良く入団できることになりました!
静かに、嬉しい。。

私のダンナさんは音楽屋さんなので
彼なりのウィンドに関しての嗜好を述べると
「吹くのは好きじゃないけど、サウンドは好き」
とのこと。
某有名ウィンドプロ団体の録音に参加したことのある彼ですが
ギャラがよくなかったんだって(苦笑)
それで「吹くのはどうも」となるようです。
彼の場合は中学はウィンド、
高校からプロに至り全てオケでしたから
ウィンドに対しての思い入れがあまりないのかも。。
ウィンドは運指が難しい、とはギョーカイ常識のようですが
私は、また、その中でもアンサンブルできるのね、
と思うと嬉しいのです。

6月からウィンドの活動再開です!

*写真はシンガポールの国立博物館内のステンドグラスです。