2010年6月6日日曜日

性に合ってる


ミクシィのマイミクさんが
80〜90年代のナツカシの歌謡曲を張っていたので
ちょっと見ていたらなんだか泣けてきた。
泣けてきたついでに、動画のページに行って
昔よく聴いてたミスチルなんか聴いてたら
ますます泣けてきた。
何でかなぁ、何で涙が出るのだろう。
私は今、結構しあわせなのになぁ。

で、こりゃいかん、と思って
「落語」で検索して、
懐かしい小さん師とか枝雀師とか
ご存命の大ファンの小三治師なんか聴いてたら
なんか、ワクワク、楽しくなってきた。
ナツカシの歌聴いて、しんみりして、
あの頃はよかったな、とか、
あの頃、こんなコトしてたな、とか
あの頃ああしとけばよかったな、
なんていうことばかりを思い出しているよりも
思い出も何もない、
もっと遠い昔を題材にした落語を聴いて
その当時の人のユニークな考え方を
ほぅ、と聴いている方が性に合ってる、と思った。

歌謡曲とかポップスだとかは詩を聴いてしまうのだが
その詩がどんなものであっても
最近の私は同じ言葉を聞くのなら
落語の方が心に入ってくる。

詩、というのは短いコトバの数珠つなぎで
物語になって心の隙き間に入り込み
なんだか、ばかでかい存在感を放ったりする。
その、居座った言葉に受け取るこっちは
どう処理すればいいんだか、結構手を焼く。

落語というのは「会話」で成り立ち、
その会話は生きた言葉そのもので
誰もが思いつく言葉、
でも、意外な展開、でも納得できるオチ、
だったりしてすーっと染み入ってくる。
心の隙き間でもなければ大きな存在感もない。
ごくありきたりな日常の、
ごくわかりやすい言葉で、
でも、現在ではなく、私の知ってる過去でもない。
見たことも、生きたこともない、
その時代の、でも同じ人間の日常の一場面。
その些細なすったもんだ、その些細なやりとりが、
こうもおもしろく、こうも身近で、
でもやっぱり誰かの人生を見ているという
ちょっと、人ごとな感じという安心感。

私の周りに落語好きは夫のみ。
会社の人ではいないなぁ。
昔からの友人たちは私が落語に連れて行ったのを契機に
落語好きになってくれた(笑)
理由なんてどうでもいいのだけれど、
私には、この落語を聴く方が歌を聴くのよりも
性に合ってるなぁ、と思う。

*動画は小三治師の「にらみ返し」の一場面。
続きは動画のページでどうぞ。

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